伊藤守先生の本を4冊くらい纏めて読んで

要は考えようだと・・・


言わんとすることはわかる。


けれど(否定)、我々は聖人君子ではないんだ(皮肉)。


といいつつ、聖人君子にはなれないってことを知ることが大事だと。(同意)


けれど皆努力するのは聖人君子になりたいからでしょ(疑問)


ああっ、聖人君子になれないんだって受け入れる努力はしょうかな・・


人間関係に明確な解は無い。


多々の禅問答の末に私は伊藤先生にどんどん丸め込められていくのを感じた。


関係性は他人有りきだが、自分以外の他者をコントロールなどできはしない。


そもそも自分すらもコントロールすることが困難なのに・・・


まだだまだ・・待ってくれ。それで終わってはいけない。


かつて、歴史学の先生は私に言った。100人の研究者がいれば100人の歴史があるんだよと・・
要はその歴史を確かめるために突き進み、突き進んだ道からきちんと戻ってこれれば
1つの歴史が証明されるんだと。


私は伊藤先生が正しいとも間違っているとも思わない。


いや正しいと間違いの区分けを人間関係に持ち込むことがそもそも間違っている。
伊藤先生はそういった科学的な解の及ばないところを主戦場にして我々に
問を突き出してくる。


だとしたら解の無い中で、自らが100人目となり自らの解を出し突き進むしか無いよね。


■人を好きになることは大変に支配的・非支配的である。


もちろん実際は支配なんてできないよ。けれど長い人生・・・平気で女性をぶん殴ったりして
相手をコントロールしたり(しようとする)する男性。


子供を「ダメな子、ダメな子、私の子じゃない」と一日中言ってコントロールしようとする母親、
もうねいっぱい見てるわけよ・・・


まぁ、けれどそれだって彼らなりの解のわけでしょ。


■100人の解があるなかで「私は自分の彼女・彼氏・子供に対して支配的であることが楽しいです」
と自信を持って言える人たちが一定数いることの問題


ヘタをするとそういう人たち案外幸せかもしれないよね。他人を傷つけることで自らの
幸せを確信する人。そういう答えをもっている人って絶対にいるよね。


■そういうキチガイ(個人的主観)は無視しておき


私は君が好きだ〜ってさ。何を持って言えるのかってことよね。
まぁ、それは直感的なもので良いわけですよ。そこは基本動物なんだから。


必死にプレゼンテーションをするわけですよね。


自分がいかに優れているか、利益を与えられるのかと・・・


だけど、大抵は大して優れてないし、あげられるものも無いと・・・


大抵は本当に素敵な人の前ではまったくの無力にならざるを得ないでしょう。


それでもそこを突破できるのは自身への無知の所以か人生の一回性を確信している人でしょう。


■自分の提供できるProfitではなく、相手から得られるprofitくらいは説明したいよね。


自分の良さとか、強みとか、就職面接じゃないんだからさ。そんなもの目の前の好きな人に
いくら言っても意味ないし虚しいでしょ。大抵は根拠など無いし。


まぁ、都心に土地を持ってますとかっだたら強みになるけど、それって人間性とはなんの
関係もないしね。


好きになったわけだから、自分が相手のどういった面に好意を寄せ、その部分が自分を如何に幸福に
しているかを説明できないと。


それ以外に確実な事実はないわけだものね。


■まず、伝えて。返ってくればラッキー!!


まず、男性が女性を好きになって、その好意が返ってくるなんて宝くじが当たるのと
一緒だよね。宝くじ自体を私は買わないし、好きではないけれど・・・

けれど当たりかハズレかわかるまでのドキドキを感じられるだけでも楽しいのかな