有名ブロガーの自己啓発っぽい記事を読んで鬱になったとき

■現実離れした自己啓発ブログの氾濫とそれらのビジネスモデルの終焉


鬱になるのは仕方ない。人間は感情を利用して選択をするわけだから。


アイスを食べたいという選択と痩せなければいけないという選択はどちらにも合理性がある。
だとすれば、その選択は個人の生き方ですよね。


孫さんは米国のテレビに出てソフトバンクの宣伝、柳井さんはJクルーのブランドを買って
米国市場での活路を見出そうとしているわけなんですけど、それって私達の多くには
関係ないわけですよね。


そして多くのブロガー書いている自己啓発ってのも、多くの人に関係ないわけなんですよね。
あの人達も商売でやってるわけですから、自己啓発読むというブログを読むってことは
識字率の証明なわけでしょう。けれど識字率は日本ではたぶん100%なわけですから
絞り込むなら書籍を買う人の割合で考えるべきでしょうね。


2009年の電通調査だととりあえず月に1冊以上は少なくとも本を読む人は4900万人いるってこと
ですよ。※どういう調査方法をしたかわかんないけど今の人って漫画ともかも読書と認識してるからね


正直、そんなに本を読む人なんているように見えないんだけど、この集計を信じるとして
何かの文章にお金を払って読む人って4900万人いると。


その4900万人の一体何人が潜在的なお客さんになってくれるのかってことですよね。


研鑽を積んで海外で活躍、論理的思考を磨いて業務改善と言ったブログは確かに興味をひかれるけど
現実的でないものが多い。多くの人がそういったステージにいないし、研鑽を積む土壌がない。
だからと言ってその人達が努力をしない人たちかといえばそうでないわけですよね。


解雇規制による硬直的な労働市場によって、自分の能力を向上させるよりも社内にいたほうが
楽なんだし。では社内を超えて、さらにはグローバル市場で市場価値がある能力なんて何なの?
そんなの僅かな人たちだし、世界的にみてもそういった層はごくわずかなわけですよね。


そういった力を手に入れる為に海外で勉強するたって資金も本人が育ってきた生育環境も影響する。


本来は所得の階層化が、得られる情報へのアクセスを制限していたわけですから
私達は隣の億万長者がどういったものを食べ、どういったことろに暮らしいたのかがわからなかった。
インターネットという情報空間がそれらの取り払ってしまい、実現不可能な欲望だけが肥大していく。


■情報空間上で欲望の充足と完結を図れるか


最近は子供もおっさんも良くわからん課金ゲームをして楽しんでいるけれど、それは少し前のアジアでの
Facebookアプリに似てるんだよねこれが、結局貧しい人たちはなんとかデバイスは用意して公衆wifi
でネットにアクセスすれば一応はゲーム上だけど平等な土台に立てるわけでしょ。


課金するにしたって1000円程度ならば大した金額ではないですしね。貧しい国と貧しくなる国が
向かう先は情報空間しかないのかなと。


例えば、今の独居老人とかの課題を10年単位で見れば仮に結婚したとしても伴侶のいずれかは
死んでしまうわけだし子も面倒は見てくれない


だとすればそういった心の安らぎや、コミニュケーションを情報空間上で代替できないが
課題になるだろうと思う。


イノベーションが起きて、音や質感、匂いというものにまで感じることができなるらば
もはやそれは一人ではない。起きながらにして夢を見、そしてそれは現実なのだ。


■現実と情報空間の境界を限りなく曖昧にすることが課題となるのでは


意識の境界が曖昧になれば現実とは何かという問いに始まり、生きる場所が
情報空間上であっても良いはずである。けれど士郎正宗じゃないんだから
実際に情報空間上で一人の人格が保持されるわけないじゃん。


けれど大事なのはあたかも自分がネット上に存在し、保持される存在だと
感じるまでにテクノロジーが進むということだ


■情報空間×ドラック×自殺


私が生きてる間にここまでテクノロジーが進むかわからないけど
おそらくドラックを使い、情報空間上に自意識を移し(※思い込み)、死ぬ人が増えるんだろうな。