職場の女性が目を合わせてくれないので鬱になる

職場の女性が機嫌が悪い。目を合わせてくれないし、返事も適当だ。


1.私の何らかの言動で嫌われてしまった。
2.体調が悪い
3.職場や環境に対しての不満がある
4.プライベートでなんらかの課題を抱えている


ざっと考えると4つだけれど、いずれにしてもその答えを私が考えても仕方ないよね。
だって本人の気持ちは本人しかわからないもの。


けれど私は何かしらの原因や理由を見つけて安心したい。


「生理なんだよ」「家族と喧嘩したのかな」「私が何か言ってしまったのかな」私はわたし自身を
安心させたいが為に勝手に物語を作って自分を納得させようとする。


ず〜と、昔だけど障害児のボランティアを数年間した。自閉児の子が多かった。
言葉も喋れないし、そこら辺でおしっこしてしまう。しまいには勝手に知らない
家に突入する。人の飲んでいるジュースを飲んでしまう。しまいにはおっさんが
灰皿代わりに使った缶コーヒーまで条件反射的に飲んで死にかける。


私は寄り添うことで彼らを理解しようと務めたけど、理解はできなかった。


なので私は彼らが満足する環境を作れば良いのかなと考えて、大きな公園や誰もいない
広場に連れて行ってひたすら走り回らせた。


私は彼らが何をしたいの、何を考えているのかわからない。けれど彼らが楽しそうか、そうでないか
くらいはわかるようになった。


だから彼らにストレスを掛けないように、とにかく自由にしてやった。
そういう環境を用意することを務めた。


時々、そういう自閉児に対して厳しい指導で規律を守らせる(たい)人たちがいる。
けれど言葉を持たない彼らたちに規律を作るには、パブロフのような徹底した条件付け・・
つまりは体罰が必要となる場合が多い。大抵失敗するけど。


正直なところ私はそれに反対できない、もし弱いものを条件反射的に傷つけたい衝動に
駆られ、その衝動を抑えられない子供がいたら、その子を誰も傷つけない環境に連れていくか
徹底的に条件付けして人を傷つけないように教え込むしかない。


地域福祉という体の福祉削減により、そういった子どもたちが大きくなりアメリカでは
ホームレスとなり日本では累犯障害者という形で刑務所に収容される。


話は後輩の女性に戻る。


私は彼女が楽しくないのはわかる。「何かあったの?」という言葉ほど無意味なものなど無い
人は嘘を付くし、不満な顔をしているのはその不満を言えないからだ。


できるならば彼女のやりたいことをさせてやりたいし、言いたいことを言わせてやりたい。


大事なことは彼女は不満を私に言えないのだ。彼女と障害児の違いは何なのか。
彼女は喋る言葉はもっているが私の前ではその言葉は意味を持たない。


同様に私だって上司の前では自閉児と一緒だ。言いたいことの半分も言えない。


うまく誤魔化したり、違う部署を経由させて伝えたり、おだててゴマをすってなんとかうまく
意見を通したりすることがほとんどだ。通らなくても「仕様がないよね」となんとかやっている。


彼女はただ若くて、いろんなことに可能性を感じ、完璧な自分でありたいと思い。
自分に嘘つき、その場を取り繕うことができないだけなのだ(※かもしれない)。


「力になるよ」「何でも話しあおう」なんて不正直な言葉を言えるほど私は馬鹿になれない。


「あーどうしたら良いかな」と思って、他部署の先輩に電話をして、その女性を預かってもらう
ことにした。


私は彼女が何をしたいの、何を考えているのかわからない。けれど彼女が楽しそうか、そうでないか
くらいはわかる。その部署には彼女と仲の良い女性たちがいる。きっと彼女は『今』よりは楽しく
なるはずだ。


私のやったことは多分、会社員としては失格かもしれない。けれど正直そんなことはどうでも良い。
目の前で嫌そうな顔されているよりも、もっと楽しいところで仕事をして笑ってくれていたほうが良い。


けれどこんなこと何回もできないし、私の部署にもう女性は入れたくない。私は今回の件で3日間くらい
悩んだ。ネット検索したら『女子社員の扱い方』とかたくさん出てきて、皆同じようなことで悩んで
いるんだなと知った。


女性なんて雇わなきゃ良いのにと正直思う。同時に女性を活用できる社会は男性もより働きやすい
社会に違いない。


女性に対しての気遣いや思いやりと同様のものを組織のなかの全ての社員に持つことができるのか。


言わなければいけないのは男性は無理をさせても良いけど、女性はダメでは無く、どちらにも無理を
させて働く労働環境は良くないということだ。


■もうちょっと考えると


少し逃げずに考えることにした。もっと考えるべき課題はどうして私は「何かあったの」と聞くのを
あきらめ。また彼女も不満を私に言わないということだ。


双方が諦めてしまっては絶対に解決などするはずがない。そうやって閉塞感や諦めが蔓延し
組織は衰退していく。問題を可視化せず先送りしていけばそのツケはあとで受け切れないも
のとなって降ってくる。


私たちは「話合による相互理解」ということに対しての文化的土壌から来る「虚しさと諦め」が
ある気がする。けれど様々な言語や文化で共生する現代では「話合いによる相互不理解」の
共有をすることが求められているのだと思う。私たちは理解しあえない部分があることを理解
するという勇気と許容だ。


なので私が本当にしなければいけないのは、とりあえず彼女に対して言葉を尽くしてみることなんだ
ろうなと。諦め半分で・・