どの道死ぬのにと思うと何もかも空しいものですね。

ここ最近、考えるがめんどくさいのでやることはポストイットで管理することにした。
ブロックごとに優先順位を設けていてそれを見ながらやっていたりする。


けれど、こんなことやっていても、突然やらなければいけないことや、想定の事態って必ず起こるわけで
むしろ仕事ではポストイットが50枚以上になって、貼る場所が無くなってしまったりする。


どうしてそうなるかと言えば、それは上からどんどん仕事を投げられるからだ。それは仕事じゃなくても家庭だったり、友達同士でもなんか知らんが皆から用を頼まれてきゅうきゅうになっちゃてる人っていますよね。


自分のなかで段取りをいくら組んでも、色んなところから頼みごとがくるとどうしようも無くなってしまう。
つうかポストイット貼る場所が無くなる時点でスケジュール能力が無いわけなんですけれども。


なのでこれ以上仕事を請けないように偉くなるか、もしくは嫌われたり、クビになっても良いと腹を括って断るしかない。無論、私のような資本主義の豚のような人間には拒否権が無かったりするから、1から50番目と優先順位を付けてやっていくしかなかったりする。


大切なのはどうせどの道、皆死ぬのだし、大抵の人は死んだとしても誰も困らないからからあまり真剣に考えないことだと思う。そしていずれ死ぬのだから極力長生きすることだ。


自分のミスで新幹線が脱線したり、セシウム牛肉が全国にばら撒かれたり、そしてその結果、誰かが死んでも、それは大したな問題ではない。一番の問題はなんらかのミスによって自分が死ぬことなのだと思う。


仮に新幹線が脱線した原因を作った、施工業者や管理職。牛肉を小売に流した卸の人が責任とらされて全員死刑になるんだったら、こんな事件はおきなかったろうと思う。なので私たちが住む世界はいい世界だと思う。昔のどっかの国だったら、王様の命令で下手こいたら縛りクビかなんかにされとったわけで、今は悪意さえなければユッケで人殺しても死刑にならないわけだから良い時代と思う。


けっして皮肉で言っているのではなくて、「失敗したら殺すからな」みたいな脅しがない現代社会(一部の国除く)は本当に良いものだと思いました。


あまり真剣にならずに適当に生きていくとは本当に大切であるなと身に染みる今日であります。