日本国憲法の生存権に感謝

ガバメントから提供された我が家のテンポラリーハウスを見て思ったのはどうして行政は被災地を助けるのかということでした。


5分考えて、日本人には生存権が等しくあるからだと思いました。もしこれが縄文時代だったら、だれも助けてくれないわけで個々の集落が新たな土地を求めて移動をするしかなかったと思います。


なので、いくら政府が金を出したくない、面倒なことはしたくないと思っても憲法によって私たちの生存権が保障されているからやらざる得ないのだと思います。


ですから行政は憲法を改正して生存権を削除すれば、宮城県福島県の大部分の人は生活困難になり自力で新しい土地に行くか、もしくはそこで野垂れ死ぬしかないわけです。


同時に多くの生活保護世帯も受給が廃止され多くの人が野たれ死ぬわけです。


そうなると、野たれ死にたくないので縄文時代よろしく武装して、近くの集落を襲って食料を奪取したりするわけで治安維持のコストが掛かるわけです。


だから生存権を廃止したいならば関東を万里の長城よろしく柵で囲んで東北やら九州から貧民が入り込まないようにすれば良いのではないでしょうか。


私は個人的にはそのような方法は現代の日本だからこそ可能だと思います。昔であれば労働者を集約して工場で働かせるためのトレードとして社会保障を約束したわけですが、もはやそのような工場そのものを海外へ移転させているわけですから、沢山の労働者など必要ないわけです。


ですので人材と資本を関東に集約してあとは知らないと開き直ることもできるできると思うし、それがなによりも合理的な判断だと思います。東北の復興支援と福島の賠償は巨額すぎてそのうち国も匙をなげると思うし、国債を刷りまくって円の信用を落としたところで、その結果海外に逃げた工場が帰ってくるのかとも思う。


なのでこのまま日本が貧しくなって国債が発行できなくなれば生存権の制限を設けて、一定の人々を見捨てるということになるのかなとも思う。そんなことがあるのかなと思いつつも、1人の社会人として生活しているものだから何かを選び、切り捨てて生活しなければいけなと体に染み付いているから、それが行政であっても同じだ思ってしまうのでした。