合同葬儀があったので帰りました。

合同葬儀があったので地元に帰りました。


ちなみにアル中のマイファザーがテンポラリーハウスをゲットしたとのことで家にお邪魔することにしました。
テンポラリーハウスは4.5畳のフローリングが2部屋とキッチンがあり素晴らしい部屋でした。


テレビやその他の家電は赤十字が寄付してくれたもので、正直私の部屋よりも立派でございました。日本スゲーはとプチ感動致しました。


寺で坊主が私の家族の為にお経を唱えていただいたのですが、信仰心が皆無の私はこのような儀式と戒名のために100万近くの金を払う馬鹿さ加減にあきれ果てながら、葬儀というものが、死者のためではなく生き残ったものの納得や虚栄心といった自己満足の為に行われるものであると再確認致しました。


ニヒリズムとかではなく、死そのものは本当に無意味であって、死者を弔うという行為は政治でしかないと思います。私たちができるのは今、目の前にいる人を大切にすることだと思います。私もあなたも明日死ぬかもしれないからこそ、言葉や態度で自分の感情を伝えることが重要なのだと思います。


私たちは、家族や兄弟であっても愛せない人は愛せないと知るべきだと思います。子供だから親の面倒を見る。親は子供を愛して当たり前というなんだか知らんが、適当に作られた幻想に私たちは縛られているとは思うのです。


やるべきことは自分たちは選べるということであり、選び方を知るということだと思います。つまりは人間の信頼とはどのように作られていくのかということだと思います。アル中、薬中、自分を虐待する人、罵る人とは信頼関係を作ることなどできないはずです。信頼とかなんとも抽象的な話ですが、ようは一緒にいて安心できる人をどうやって見つけるかなのだと思いました。