甲子園は電力の無駄以上に人的資源の無駄

本日、ランチをとっておりましたところ、隣に座ったボーイズ達が所謂、シニア⇒強豪高校という流れの野球ボーイズだったらしく。


大学に入学するのか、もしくはしたのかもう野球は断念して別の道に進むというお話をしておりました。


ボーイが言うには、試合の際にあるピッチャーの球が速すぎて「アホか!打てるか!!」と思ったらしく野球はあきらめたとのことでございました。


個人的には飯田が不動のセンターであったヤクルト黄金期に古田の配球を何故かすべてノートに録っていたほどの野球好きだった私にとって、「お前ら野球できるだけでスゲーな」と尊敬な眼差しなのですが、まぁ確かにプロの芽もないのに大学で野球やっても仕様が無いのかなと


日本では野球に対しては、子供に金を掛けますが、投資をした分の宣伝効果というリターンが得やすいからなのでしょう。


仮にプログラミング甲子園があったとして、明徳のエースは左利きのコボラーと解説が紹介してもまったく面白くない、何よりどうして指導者が今更生徒をコボラーにしてしまったのかのほうが気になる。


スポーツは生得的部分が多分にあると思う。だからこそ子供達には早めにDNA検査やら指導者から見た意見として「お前、どう考えても無理だから!小坂選手は例外だから」と教えるべきなのではないでしょうか。


同時に生徒の資質にあった進路をガイドするのが大人の役目なのかなとも思ったり致しました。球場でプレーする選手になれと叱咤するよりも球場の天然芝管理できる人間になったほうがいいんじゃね?と言える指導者が増えれば良いかと思います。