☆帰省2回目と雑感☆ おっかぁの あんころ餅が 食いてぇだぁ の意味が分かった今日。

■家族の遺体が見つかり自衛隊に感謝


幸いにも母と祖母の遺体が見つかりまして、土葬を致すことができました。まだ、見つかっておりません家族もいるものの今後発見される遺体はもはや腐敗が進み判断がつきませんでしょう。私個人としては、もはや見つからないのは受けいれるしかないのかなとは思います。


■それでも遺体を捜す家族への複雑な気持ち


私も行方不明の家族がいるものとして、自衛隊が収容したご遺体のファイルを見させていただいたのですが、体の一部が欠損した本当に酷い状態の写真のファイルが沢山ありまして、小さな子供などもファイルに乗せられておりまして大変見るのが辛く悲しいものでした。

自分の家族の遺体を捜すための朝から晩までファイルの隅々まで目を通しておる方達が沢山おり、個人的な意見と致しましては探すのは諦め前に進むべきなのではと思ったり致しました。とは言いましても小さな子供が流されたしまったご家族等は、どうにも諦めきれず、被災した学校周辺を旦那様や奥様と一緒に探していたりする様子が宮城テレビにて放映されておりまして、見ていて大変辛い気もちになりました。


■死生観や価値観のズレ


絶対に遺体を見つける。遺体となっても家族が見つけてくれるのを待っている。土葬は絶対に嫌だから車で県外に運んで火葬の手続きをしてもらう。人間様々価値観がございます。私のように死者は何も語らないし、思わないから、今生きている人を大切にするべき。等様々な価値観を目の前に致しました。


■家族というものがた改めて見直されつつある。

疎開した子供を元の地に戻そうと仮設住宅やアパートを必死に探す方々を見ていると、家族というものは本当に掛替えないものなんだろうなと思ったり、逆に私の父のようにおかしくなって、遺産を守ろうと奔走していたり様々な家族の有り様がありました。


■俺はデロリアンに乗って、家族を助けるという過去を悔いる従兄弟

お前が過去に戻っても誰も信じない。


■管理者の判断が本当に問われた今回の津波

地震後に津波が来るのは確定でありまして、ある銀行は店から全行員を最も高いところに非難させ全員無事だったが、ある銀行は行員をその建物の屋上に非難させたために全員行方不明になってしまった。オーナーや店長が震災時に居なかった小売店で店を閉めて良いのか判断が着かず、無論、電話もパンクしており判断も仰げない状況でどうすればいいのか分からずに行方不明になってしまった人たち。不測の事態には管理者への判断を仰ぐというのは鉄則ですが、今回は管理者への連絡ができなかったり、管理者の資質を大きく超える状況でありました。また、管理者が店舗に一度も戻らず高台で自分だけ助かり、逆に従業員が死んでしまって「お前ふざけんなよ」と遺族に怒られていたり、管理者って大変だなと思う次第でございます。


■ネットは非常時には無意味

言論もネットも現実には何の役にも立たないものだなと思ったり致しました。被災直後はメディアリテラシーの高さよりも、トラックを運転できること、流れてきた船から燃料を奪取しガソリンか軽油かを匂いで確認して、それを車に詰めて、再び流れてきたプロパンからガスで火を起こすこと、自販機をバールで破壊して飲料を確保することが重要だった(※というあくまで噂を聞いた)とのことでした。ラジオやワンセグで情報は取れても食べ物や燃料がなければ死んでしまいますからね。正直な話、原発計画停電もどうでも良い様な感覚に陥りました。ネットも東京の人もどうでも良いことで騒ぎすぎなのかもしれませんね。


■私は本当に疲れた。


日が経つにつれて、私自身、消耗しておりまして、果たしてどうすればいいのだろうかと思うわけです。生家は流され、家族も流され、土地や保険等の幾許かの財産は震災によりクレイジーになってしまった全て父が奪取致してしまいました。法律とはまことに無慈悲なものでございます。


無論、「お前、成人して新宿で自活してたんだから、これからもその通りやれや!!」という皆様のご意見もあるかと思います。まぁ、その通りなんでしょうが・・・誰一人頼れる人が居ないというのは大変に寂しいこと、不安であるなということでございます。


確かに私の、母や祖父母に切込隊長が次はいつ訴えられるのか。ソラノートはどこに向かっているのか。東先生が西先生になった。という非常に局地的な話をしてもまったく、家族含め、被災した地域ほとんど知らないネタでございますけど、畑で取れたほうれん草のおひたしが美味しい。2軒となりの爺さんが惚けた。そのようなどうでも良い話を家族と電話で話すのも心の安らぎとして大きかったのかなと思います。


家族、友達、生まれ育った町が全部消えてしまったのは本当に大きな喪失感と不安感が私を包みまして、「これからどうすればいいんだろうか」と。また今後、病気になったらどうしよう。失業したらどうしよう。賃貸やらなんやらの保証人はどうしよう。という不安もあったり致します。幸いにそのようなことで誰かにお世話になったことはないので今後も大丈夫なのではと思うのですが。


■今後、どうすべきか


私の友達もほとんど家が無くなってしまったので、現在、東京に住んでいる私や私の友達もいずれは仙台に戻り、被災した家族やもしくは友達と一緒に暮らしていくのが一つの方策ではないかとも思います。いずれにしろ今は、世の中が落ち着くのを待つだけでございます。