そういえば昔2軒隣の部屋の爺さんが死んでいた件をふっと思い出した。

以前私が仙台に住んでいたとき、その激安アパートには生活保護世帯の人が沢山住んでいたようで、老人だけでなく心を病んだおばちゃんとかも住んでいたりして、私の窓の前にいつの間にか立っていて「おに〜ちゃん〜ヤクルト飲み〜」と言ってたりしてマジびびったりしたものでした。


そのおばちゃんからはヤクルトやらなんやら貰ったのですが、世間話をすると「郵便受けから手が出てくるから怖いの〜」と真顔で言ったりしていたのでまぁあれな人だったんだとは思う。


しばらく住んできて秋口になったら、ガスの点検日になってガス屋のおじさんが「2軒となりのお爺さんクタッばってますよ。大家さんってどこすか?」と私の部屋に来たので取り合えず大家さんに連絡して、ガス屋のおっさんと爺さんの部屋に行って見たら、玄関ドアまで這ってきてドアにもたれ掛かった状態で死んでおりました。


鍵が開いて若干ドアが開いたからガス屋のおじさんが気づけたのだが、それは霊となったおじさんが最後の力を振り絞って・・・なんてどうでもいい話はさておき・・


死んでしまった爺さんは秋口といっても2〜3日経っていてややハエが飛んでいたりしました。仮に鍵が開いてなかったらそれこそ1ヶ月は誰も気づかんかったかもしれずもっと悲惨なことになっていたと思う。


この手の話はよく聞く話なんだけど、まぁ俺は実際体験したわけで長いこと一人ぐらしして自活している自分にとって、身につまる話だったわけです。


俺も脳梗塞かなんかで突然死したら、確実に誰からも気づかれないだろうなと・・・無論、職場からの連絡で早めに誰かは気づくと思うけど既に死んでいるわけだから一人で住むってのはそれなりにリスクがあるなと・・・死に間際に助けを求めようと玄関に這っていく自分というのを想像してその時に何を考えるのだろうとも思う。


だからこそ、私は家族や友人を2-1-2システムに変えるなどということを真剣に考えるようになったわけです。



次の日に家族に見つけられるのと、1ヵ月後に見つかるのは何が違うのか死という結果に代わりがないという意見もあるかもしれんが、それは死というものに関してであって死ぬ前のリソースの話なのだと思う。



それでは、ITで独居老人を監視すればいいのではという意見もあるかもしれないトイレの使用回数をトラフィック化して下回ったらWEBカメラに切り替えて確認して問題があれば、地域のソーシャルワーカーに連絡するとい方法もある。監視員はベトナムアウトソーシングすりゃ人件費も抑えられるのでは?これなら死んでから24時間以内、ヘタすりゃ助けられるかもって話だ。


大切なのはITと非伝統的連帯をうまい具合に取り入れて使いきることだと思う。監視員がベトナム人じゃなくて自分の息子や娘、友だちならそれはビジネスではなくて助け合いなんだから。