自分をボトラー化する

年明け私はボトラーになった。


ボトラーになった理由はいくつかある。それはいかに都内と言えどもトイレに行くのが寒いという理由も一つある。


だがこの「自分をボトラー化する」というネーミングだけは勝間和代が言いそうな試みは行政官僚と戦って行くためには必須なことなのだ。



私がまだ小学生だったとき高齢の曾祖母が足腰が痛くなってトイレに行けない状態になってしまいました。


コンクリートジャングル育ちの都内のヤングには分からないかもしれませんが地方では未だに水洗トイレでないところはあり、ましてや私が小学生のときにはまだ和式のトイレなど珍しくないのでした。ですので高齢者がトイレに行くというのは大変困難を極めてしまうのです。


曾祖母の為に我が家では簡易トイレなるものを買い祖母の部屋に置くことに致しました。


私やほかの家族のものがたまったお小水をトイレに捨てておりましたが、曾祖母はガンになって入院するまでは自宅におりまして私や母、娘である祖母、私の兄弟と暮らしており、誰かしらが近くにいてお世話しておりました。


その当時は介護保険の議論がよくよくされており、介護が家庭から施設へという議論がされ初めていた時代でした。


有吉佐和子の「恍惚の人」などのドラマや介護の問題がメディアでクローズアップされ介護に資本を入れて民間サービスで運営すれば家庭内での負担が減るという論調でした。


それは事実だと思います。特に雇用が大都市に集中している現在、核家族化は避けられず、ましてや東北に住んでいる高齢の両親を都内に呼べるかと言えばそれは両親が拒絶しますし、またそんな広い賃貸は高すぎます。


では自分の嫁やまたは旦那を説得して、子供を転校させて田舎へ引っ越すのかと言えばそれも大変困難なわけです。


考えられる手段は自分の両親は厚生年金といくばかの貯金やら資産があるからそれで福祉サービスを受けてもらい介護を行うという手段です。


無論伝統的な家庭内での介護もできる人はすべきでしょう。


①家庭内での介護⇒自宅に誰かしら人がいなければいけない⇒娘・息子に世話をしてもらう。

②福祉サービスの使用⇒介護保険に準じたサービス料を払わなければいけない。⇒年金で払える。


いずれにしても上記は今現在の大方の家庭に内在するリソースを前提として議論しているわけですが、未婚化と、非正規化が進む若者が介護される立場になった場合一体誰が介護するのかという問題があります。


①家庭内での介護⇒自宅に誰かしら人がいなければいけない。⇒未婚で家族がいないので誰も世話できない。

②福祉サービスの使用⇒介護保険に準じたサービス料を払わなければいけない。⇒年金もらえない、もしくは少ないので介護サービスが受けれない。資産もそれほどない。


上記のような事態になるのは容易に想像できます。
この状態を避ける方法を考えると

①官僚の狙い通りに自殺する。
②家族や友人を2-1-2システムに変え40代自殺社会をチーム戦で突破する。
③自分の介護は自分でする。


私としては②と③を合わせたものが具体的だと思うのです。決して官僚の狙い通りにさせてはいけないのです。


そのためにも年を取ったときに自分の面倒をどうやって自分自身で見るためのシステム作りを進めなければいけないのです。


まず、目の前のペットボトルに真剣に向き合ってみる時代が今目の前に来ているのではないでしょうか。