私達の潜在的暴力性をどうコントロールしていくか。

人間の歴史は戦いの歴史でして、略奪や殺戮を定期的行っているわけです。


それは以前の話だけでなく、今現在も形や名目を代えて行われているわけですが暴力装置(マックスウェーバ的な意味で)を国家が占有することにより争いを減少させることに成功したわけでございます。


しかし、部族間や何かしら集団でのおおぴらな戦闘は回避されましたが、個人間のトラブルは依然としてあちこちに山積しているわけです。


学校でや職場でのイジメが何故起こるのかという議論が起こるのは、そもそも人間は弱い物をコントロールしたいモンキーだという認識が欠如しているということでございます。


欧米ではすぐにスクールポリスや弁護士が入ってくるというのはそのような前提があるからでございます。


人間は潜在的に暴力的であるからこそお笑い番組や年末の格闘技番組を見るのではないでしょうか。


大なり小なりイザコザはありますが、生徒が自殺したとか暴力が日常的な職場は監督者の権威が存在せずコントロールができないか、そもそも監督者自身が暴力やいじめによる統治を認めているということなのでございます。


集団の潤滑油として個人間でのいじめや暴力が必要とされ、それが社会にとって相対的に見てプラスになるのなら良いのではないか?


もしくは暴力は絶対に駄目、苛めは絶対に駄目という権力側の強い意思表意が必要なのだろうと思います。1発殴ったほうが話が早くてもコニュケーションコストを掛けてやるという権力者の人間性に強く依存するものでございますのでなかなか実践は難しいと思いますが。