江戸以前のビッチとやりチン文化のカムバックが日本をハッピーにする!!

経済が疲弊する現在において、結婚、就職、ビジネス等を通じての自己実現という幻想を持ちにくく昨今なっております。


正確に言えば、頑張れば自己実現できるという勘違いを皆ができなくなったということです。


その中で労働者はゆくっりと第3次産業、サービス業に移行していきスーパーで一日中レジを打つか、一日中ハンバーガを作るマックジョブ的なものになっていくのでしょう。











製造業や一次産業である農林水産業自由貿易による価格競争にさらされる限り、国際競争力に影響しない内需に依存したサービス産業に雇用が移行するのは致し方ありませんが、サービス業の生産性というものはそもそも低く、おのずと給与も低くならざる得ません。


簡単に言えば、マックや吉野家の仕事がいくら増えても、時給1000円くらいがいいところでいくらスキルや経験が蓄積されても、客数と売り上げが前年比で2倍になることはほぼ不可能なので時給2000円にはならないだろうという話です。


つまり、私を含めたヤングとミドルの大半は一生時給800〜1000円で生活せねばならないわけです。


仮に時給800円と致しまして、一日6時間で4800円。22日で105,600円でございます。(※サービス業で8時間労働を探すのは難しいため大多数の人が5~6時間のものを掛け持ちして生活している現状があります)


105,600円ならルームシェアすれば決して暮らせない額ではありませんね。住居コストを3万円以内に抑えればこの額でも不可能ではありません。


ですが、同時に私たちが直面する問題はアイデンティティクライシスという「こんなんで生きてて意味あるの、俺?」という問題です。


そこで私が提案したいのがSEX社会の再来です。明治の近代化政策のためにこのJAPANに持ち込まれた西洋の腐れ純潔主義を打破して、江戸以前のビッチとやりチン達によるヒーハ状態を再現するのです。


踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々と季節ごとに祭りを行いその場で知り合った若者やミドル達がその肉体をぶつけ合うのです。


それはかつての農村における祭りの乱交のようなものであり、私たちは働き、交わり、そして死んでいくのです。


菅さんは全国の中高校性の男女にピルと避妊具を無料で提供すれば良いのです。


そしてSEXを大いに推奨すればいいのです。無論ガールズ達には選ぶ権利がありますから、もてないティーンメンズ達はミドルのウィーメンとの交わりをすればいいかもしれません。


そして男子にはAVなどによる虚構のSEXではない実践的な情交を保険体育の時間に伝え、メディアを通じてSEX=ライフにすれば良いのです。


なまじ、SEXに対しての幻想があるからビッチ批判などというおよそ歴史認識を誤った批判がでてくるのです。


今、私たちができることは近代以前のJAPANがそうだったようにSEXをスナック感覚までに引き下げることなのです。