自分が変態アニマルさんだということを自覚しよう

人間が活動をする際に人間関係が大きなストレスや障害になるケースが多いと思いますが、それは話し合えば分かるといった大いなる誤解によると思います。


仮に一緒に住んでいるマイクが窓から放尿するのが彼のライフスタイルだったとするならば一緒に住んでいるKENはどうすればいいのか?


KENはマイクが窓から放尿するのが嫌なのです。しかし、KENはマイクにとって窓から放尿することがこのストレス社会から一時的に逃れる数少ない方法であることも知っているのです。マイクは俺が窓から放尿する権利を取り上げるならば俺は出て行くと宣言します。


KENの取り得る選択肢はなにがあるでしょうか。


①マイクと暮らすのは諦める
②マイクの放尿を受け入れる


大きく分けるとこれしかないでしょう。仮に菅さんが窓から放尿する人を刑事罰にできる法律を作ればマイクの行動を辞めさせられるもしれませんが、この世界の人間の行動に全てに法を当てはめて問題行動を捕捉することは困難なのですから。



しかし、KENはなぜマイクが窓から放尿するのが嫌なのでしょうか?犬猫など場所などのお構いなしに放尿しますし、しかもその後始末を人間にさせる始末です。


マイクは放尿は今のところKENの気分という非具体的なもの以外には誰にも迷惑を掛けていないのです。



仮に犬や猫が自ら、窓から放尿したとしたらなかなか気の利く奴だということにならないでしょうか?


どうして犬や猫は褒められて、マイクはKENから糾弾されなければいけないんでしょうか?


KENはマイクの放尿を自分の直接的な不利益にならない限り受けれいれるべきでしょう。私達が考えるのべきなのは自分の直接的な不利益にならない限り相手を強制してはいけないということです。


それは○○という理由では私の不利益なるから止めて欲しいと宣言することです。その理由に正当性があれば相手は辞めるでしょう。


しかし、残念なことに現代の法治社会では窓から外にどころから、人の顔に向かって放尿する連中が会社や社会の中に存在するのです。


そういう変態さんたちが一定の権力を持ち、会社や社会の中で自分より力の無いものに向かって放尿してエクスタシーを得ているのです。


私達が考えるべきことはなぜこの法治社会でそのようなアニマル達が他人に向かって放尿できるのかを考えなければいけません。


答えは人は一定の権力を集団の中で持つと変態アニマルさんになるということです。本来人間はアニマルなのです。それを法によって人間にするという途方もない試みを近代は行ったのでしょう。


不利益を主張しても相手は一向に止める気配がない。それは変態アニマルさん達が完全アニマルさんの最終形態にたどり着いたからのです。彼らには私達の言葉が通じないのです。


私達は自分がアニマルさんだということを自覚して、変態アニマルさんにならないために自分をどう律していくかを考えなければいけないのだと思います。