新聞は誰のものか

最近は震災の関連でメディアに取り上げていただくことが多くなった。

貴重な経験ですがメディアの方々と関わっていて思うのは、記事や番組を作るのに皆命がけだということです。


私が言いたいのは皆、使命感に燃えていると言いたいのではありません。どうすれば売れるのか、目立つのかというのが先にたって肝心の取材される側から信頼されなくなってしまうくらい頑張るということです。


取材対象者よりも読者への配慮が優先されてしまい、その配慮とは何かといえば『読者が聞きたい、言って欲しい』言葉です。


本当にメディアというもの、特に新聞に関してはどう公共性を担保していくかというのは難しいところです。


記者さんはたくさんいますから、一概にその記者=その所属する新聞社といは言い切れませんが、それでも取材された側から見れば、会話の中の言葉尻を捕らえてそれがあたかも100かのように見出しに載せられると腹が立ち、その新聞社への信頼感は失われてしまいます。


新聞は誰の為にあるかといえば、それは読者の為にあるわけで、読者がその新聞に何を求めているかが重要なのだと思います。記者が読者の読みたい記事を作るために、そのようなネタを探してあらかじめ用意されたストーリーをやや強引に押し込むのは致し方ない。


それはネットメディア、岩上さんや上杉さんにしても同じで、人間である以上、何かしらの伝えたいストーリーを持っていると思います。


このような議論の中で、だからニコニコ動画だよ。ユーストだよという議論もあるかと思います。


ですが私はそれでも新聞に期待する部分があります。それは地方紙にあると思います。地元に密着した話題であるからこそ、事実の検証もできるし、取材された人たちと会おうと思えば会うこともでき、それが縁にもなっていきます。


地方紙が紙媒体とネットをうまく活用して世代間の情報格差を埋め、地域の中での公共性と信頼性を担保できるメディアになっていける可能性があるのではと思いました。


ちなみに新聞記者=新聞社ではありませんと書きましたが、毎日新聞の記者の方は私の言葉を一言一句まったく変えずに記事を書いておられました。本当に感謝です。というか署名をしない新聞記者は駄目でだと思います。本当に